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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)639号 判決

原告

塚本邦満

原告

塚本巻子

原告

福島建材工業株式会社

原告三名代理人

荻竪陽三

田部井俊也

被告

東海運輸倉庫株式会社

被告

小山茂

被告両名代理人

田中登

二宮充子

右田中復代理人

早川俊幸

主文

一、被告らは連帯して原告塚本邦満、原告塚本巻子に対し各金一三万円、原告福島建材工業株式会社に対し金二六万円および右各金員に対する昭和四四年一月三一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、訟訴費用はこれを二〇分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

四、この判決は主文第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

(原告ら)

一、被告らは各自原告塚本邦満、同塚本巻子に対し、各六二八万八四五〇円および内各五四八万八四五〇円については昭和四四年一月三一日から、その余の各八〇万円については本判決言渡の日の翌日から各支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二、被告らは各自原告福島建材工業株式会社に対し、三五二万四一五三円および内三〇八万六二二〇円については昭和四四年一月三一日から、その余の四四万七九三三円については本判決言渡の日の翌日から支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

三、訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言

(被告ら)

一、原告らの請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決ならびに担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二  当事者の主張

(原告ら)

一、事故

原告らは次の交通事故により損害を蒙つた。

(一) 日時 昭和四三年一〇月三日午前五時五分頃

(二) 場所 埼玉県大里郡岡部村大字岡一九二番地先国道一七号線

(三) 加害車および運転者

大型貨物自動車(足立一そ五〇六九号、以下被告車という)

被告小山茂

(四) 被害車および運転者

大型貨物自動車(埼一な一五〇四号、以下原告車という)

訴外塚本敦

(五) 態様 前記国道を本圧市方面から深谷市方面に向つて進行中の原告車と対向進行してきた被告車とがすれちがう際、被告車に積載していた丸太が原告車前部に衝突し、原告車が大破し、訴外敦が即死した。

二、責任原因

(一) 被告小山

被告小山は、被告車の所有者であり、自己の運送業務のため被告車を運行の用に供していたものであるところ、本件事故は被告小山が大丸太五本を不完全な状態で被告車に積載運搬したため前記場所で荷崩れを起こし、二本が落下し、内一本が原告車の前部機関部分下側に、続いて一本が車体部分に激突したために生じたものであるから、同被告は、人損につき自賠法三条、物損につき民法七〇九条の責任がある。

(二) 被告会社

被告会社は主として木材の運送ならびに倉庫の経営等をその業務とする会社であるところ、木材運送については被告小山に専属的に下請させて、被告車を自己のため運行の用に供していたものであり、本件事故は被告小山が被告会社の下請業務を執行中に右過失により発生されたものであるから、同被告は、人損につき自賠法三条、物損につき民法七一五条の責任がある。

三、損害

(一) 原告塚本邦満、原告塚本巻子関係

(イ) 訴外敦は事故当時満二五歳の健康男子であつたところ、昭和四二年一〇月から原告会社に勤務し、運転の業務に従事し、一カ月平均四万四〇〇〇円の給与を得ていた。本件事故で死亡しなければ、同訴外人は満六三歳まで三八年間稼働しえたものである。

そこで、生活費には月一万円あれば足りるのでこれを控除して、右期間の逸失利益を現在に請求するためホフマン式計算により年五分の割合による中間利息を控除して右稼働期間の逸失利益の現価を算出すると八六七万六九〇〇円となる。

(ロ) 訴外敦の慰藉料

二五歳の若さで死亡した訴外敦の精神的苦痛は筆舌に尽しがたく、これを金銭に見積ると三〇〇万円を下ることはない。

(ハ) 原告らの慰藉料

各一〇〇万円

原告らの長男であつた訴外敦を失つた精神的苦痛は大きくこれを金銭に見積るとすると各一〇〇万円を下ることはない。

仮りに死者本人の慰藉料請求権が認められないとした場合には各二五〇万円を予備的に請求する。

(ニ) 弁護士費用 各九五万円

原告らは本件訴訟追行を原告ら訟訴代理人に委任し、着手金として各一五万円を支払い、第一審判決後認容額の約一割五分に相当する各八〇万円を支払うべき債務を負担した。

(ホ) 損害の填補 各一五〇万円

原告らは本件事故による損害の填補として自賠責保険金を各一五〇万円受領した。

(ヘ) 訴外敦は原告らの長男であるから、原告らは法定の相続分にしたがい、右(イ)(ロ)の損害賠償請求権を各二分の一宛相続した。よつて、原告らの損害合計は各七七八万八四五〇円となるところ、右(ホ)の填補額を控除すると各六二八万八四五〇円となる。

(二) 原告会社関係

(イ) 車輛損

二一九万五〇〇〇円

原告車は本件事故で大破し修理不能となり、そのまま下取車に出した。新車価格二八五万八〇〇〇円から、事故までの三カ月の減価償却分三一万三〇〇〇円、下取価格三五万円を控除した二一九万五〇〇〇円が本件事故で蒙つた原告車についての原告会社の損害である。

(ロ) 休車損 七九万一二二〇円

原告会社は砂利、川砂の採取・販売等を業務とする会社であり、原告車を稼働させて一カ月平均二六万三七四〇円の純益を挙げていたところ、少くとも三カ月間休車を余儀なくされ、この間合計七九万一二二〇円の休車損を蒙つた。

(ハ) 弁護士費用

五四万七九三三円

原告会社は本件訴訟追行を原告会社訟訴代理人に委任し、着手金一〇万円を支払つたほか、成功報酬として認容額の約一割五分にあたる四四万七九三二円を支払うべき債務を負担した。

四、よつて、被告ら各自に対し、原告邦満、原告巻子は各六二八万八四五〇円および内各五四八万八四五〇円に対しては訴状送達の日の翌日である昭和四四年一月三一日から、内各八〇万円に対しては判決言渡日の翌日から、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告会社は三五二万四一五三円および内三〇八万六二二〇円に対しては訴状送達の日の翌日である昭和四四年一月三一日から、内四四万七九三三円に対しては判決言渡日の翌日から、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告ら)

一、原告ら主張一の事実を認める。

同二の(一)の事実中、被告小山が被告車を所有し、その運行の用に供していたことは認めるが、不完全な積載をした事実は否認する。

同二の(二)の事実中、被告会社が被告車を自己のため運行の用に供していた事実は否認する。

被告小山は被告車の保険料、燃料費等一切の管理費を負担し、被告車および他一台の大型自動車を所有して個人で運送業を経営していたもので、被告会社ほか数軒の材木問屋から依頼されて、材木の運搬をしていたものである。

被告車の運搬していた本件原木六本は、訴外南和木材商事株式会社から群馬県沼田市へ運搬するように依頼を受けた被告小山が被告会社の貯木場から被告会社のクレーンによつて引き上げて、運搬したものに過ぎず、運送代金は訴外南和木材から被告小山が受けとるたてまえとなつていたものであるから被告会社は被告車の運行供用者にあたらない。

同三の事実はいずれも不知。但し(一)の(ホ)の事実は認める。

二、被告小山は本件原木六本の運搬に当り、それまでの相当の運搬経験を生かし、完全に原木六本をワイヤーで締めつけ、かつ出発するとすぐ積載状況を点検してさらにガツチヤ(締具)で締め、途中でも一回位同様の点検をして現場に至るまで相当の距離を発進・停止・左右折を繰り返して走行してきたが、何ら異常が見られなかつた。

ところが現場付近において被告車が近接しているにもかかわらず、無謀にも対向進行する原告車が訴外ミツワ運輸株式会社所有の大型貨物自動車を追い越そうと中心線を越えて進行してきたので、被告小山は衝突の危険を察知するや、急ブレーキをかけて、左へ急ハンドルを切つたため、その衝撃でワイヤーロープの留金の一つが曲りワイヤーロープがゆるみ荷くずれを起し、その原木に原告車が衝突したものである。

本件事故は原告車の中心線を越える無謀な追越しという過失により惹起されたものであり、被告小山には何ら過失がなく、被告車にも構造上の欠缺および機能上の障害はなかつたから、被告小山に原告らの損害を賠償すべき責任はない。

仮りに被告らに責任あるとしても、原告車を運転していた訴外塚本敦に重大な過失があるので、損害の算定にあたり斟酌すべきである。

第三  証拠〈略〉

理由

一原告ら主張一の事実は当事者間に争いがない。

二そこで本件事故における被告小山、訴外敦の過失の有無および程度について判断する。

当裁判所は、以下の事実を総合した結果本件事故は原告車と被告車とが、ほぼ別紙第一図面の状況のもとに衝突したものと判断する。

(一)  衝突前後の模様

〈証拠〉によると次の各事実が認められる。

(イ)  原告車の破損の状態はおおよそ別紙第二図面のとおりである。

(ロ)  事故現場付近路面に残された痕跡は、原告車進行車線のほぼ中央およびやや中心線寄りに数条あり、原告車破損によつてタイヤが後方に押しやられむき出しになつたシヤーシあるいはエンジン下部付近により路面に擦過されたと思われる。

(ハ)  事故現場の道路の幅員衝突後の原告車、訴外佐藤車の停止位置等については別紙第三図面のとおりであり、被告車と原告車の空車時の高さの関係は別紙第四図面のとおりである。

(ニ)  前掲証拠および証人佐藤行雄の証言によると次の事実が認められる。

訴外佐藤は事故当日現場付近を原告車と同一方向に時速四五〜五〇キロメートルで進行していたところ、前方約一〇〇メートル程あろうと思われる右カーブ地点に対向進行して来る被告車を認めた。その直後原告車が佐藤車に追い越しをかけてきたので、突嗟に原告車と被告車との衝突の危険を感じ左一杯にハンドルを切りブレーキをかけたが、原告車が佐藤車から車長の約三分の一ほど前に出たところで左に寄つて来たことと対向する被告車の積載していた丸太と衝突したことによる反動も加わつて原告車に右ドアおよびバックミラー付近に衝突され、左前輪を進行方向左側の側溝に落したまま、少し前進して原告車とともに停止した。佐藤車の車幅は2.42メートルであり、停止した際後部荷台の左端は路肩より九〇センチメートルの距離にあつた(別紙第三図面参照)。

なお停止地点について、証人佐藤は三台が併列したような状態で停止した旨供述しているが、原告車ですら衝突地点と思われるところから16.7メートル進行していること(乙第一号証)および後記被告車の進行速度に照らすと、右供述はにわかに採用しがたい。

(ホ)  前掲書証および被告小山本人尋問の結果によると、次の事実が認められる。

被告小山は被告車を運転し、保谷市方面から本庄市方面へ向け時速約五〇キロメートルで進行中、旧中仙道と国道一七号線とが交差する付近の緩いカーブを過ぎた地点(第三図面①)付近で約五〇メートル前方(同)に大型貨物自動車(佐藤車)を追い越そうしている原告車を認めた。その際被告小山は原告が追越しを断念するものと瞬間思つたが、対向する原告車がそのまま追越しを継続してくるので、衝突の危険を感じ、ハンドルを左に切りかつブレーキを踏んで避譲したが及ばず、道路中心線より約1.2メートル被告車進行車線に入つた地点(同図面の地点)で被告車積載の丸太と原告車右前部とが衝突した。

(二)  丸太積載の状況等

(イ)  〈証拠〉によると次の事実が認められる。

被告車の全長は10.425メートル、荷台の長さは8.18メートル、幅は2.47メートル、高さは約2.76メートルである(別紙第五図面(1)参照)。衝突後、最下段に右から直径約七〇センチメートル、中央に約一メートル、左端に約八三センチメートルの三本が横たわり、更にその上段左側にも一本計四本の丸太が積まれたままになつていた。丸太と丸太との間隙を入れると横幅は2.77センチメートルであり、そのためあおりは外側に開いた恰好になり、進行方向右側部分に約二二センチメートル左側部分に一七センチメートルそれぞれ荷台幅を越えていた。

(ロ)  前掲証拠および被告小山本人尋問の結果によると次の事実が認められる。

被告小山は被告車に丸太六本を下段に二本の直径七、八分のマニラロープ、中段にマニラロープをかけ、そして全体にワイヤロープをかけてガツチヤ(締具)で締め第五図面(Ⅱ)のとおり積載した。事故後ワイヤロープははずれた状態であり、マニラロープは切れていた。

(ハ)  〈証拠〉から別紙第三図面のとおり衝突地点から東方約3.5メートルのところに長さ6.7メートル直径約七〇センチメートルの丸太が一本落下しており、同じく衝突地点から東方約30.9メートルの地点に直径約1.25メートル、長さ約一〇メートルの丸太が一本投げ出されていたこと、直径約七〇センチメートルの丸太元口には半円型幅約八センチメートル、長さ約三〇センチメートルの、1.25メートルの丸太元口にはだ円型幅約一二センチメートル、長さ二五センチメートルの、いずれも黄色の塗料が付着していたこと、

右黄色の塗料は原告車のものであることの各事実が認められる。

(三)  以上の各事実を総合すると本件事故は別紙第一図面のような態様で発生したものと認められる。

すなわち被告小山は被告車を運転し、国道一七号線を深谷方面から本庄方面に向け、時速約五〇キロメートルで進行中、旧中仙道と国道一七号線とが交差する付近のやや左に曲つた地点付近で、前方に訴外佐藤車を追い越そうとしている原告車を認めたが、被告車が近接しているから原告車は当然追越しを断念すると思つた。しかるに予期に反し追い越しを継続してくるので、急拠道路の中央線付近から急ハンドルを切り、左へと避譲した。その際、遠心力が働いて、丸太が右側に移動し、ワイヤーロープの一端を止めていた被告車左側後部のダボ(留め金)が曲がり、積載丸太が荷崩れを起し、直径約1.2メートルの丸太を右側板に横抱きするような状態(別紙第六図面参照)となり、さらに引続き上段中央に積載されていた直径約七〇センチメートルの丸太も同様な状態となり、直径約1.2メートルの丸太が原告車前部に激突しさらに直径約七〇センチメートルの丸太が原告車運転席横から荷台左前部にかけて激突した。

原告車は右前輪を後部に押しやられて前部のシヤーシ(車台)を路面にこすりつけるような形で、左に向いた状態で進行して停止した。

(四)  双方の過失割合

そこで訴外亡敦と被告小山の過失について判断する。

(被告小山の過失)

被告車が右側部分に約二二センチメートル丸太があおりからはみ出していたことは、道路交通法五七条一項、同施行令二二条三項に違反するとともに、原告車に衝突した二本の丸太元口にはいずれも、右はみ出し部分より少い幅八センチメートルおよび幅一二センチメートルの黄色の塗料がついているに過ぎないことおよび被告車の車体には何ら原告車の衝突した痕跡はないことを考慮すると、横抱きの状態にあつても右側あおり部分が二二センチメートル右側に出ていなければ、少くとも二本の丸太の元口には衝突しなかつたと認められるから、右法律に違反する積載の方法と本件事故とは相当因果関係があると言わざるを得ない。なお積載丸太の結果自体については、通常の運行により荷崩れを起すほどに不完全であつたことを認めるに足りる証拠はない。

(訴外亡敦の過失)

原告車を運転していた訴外亡敦は、被告車が近接しているにもかかわらず、訴外佐藤車に追越しをかけ、被告車積載丸太の異常なる移動落下の第一の原因を作つたものであり、最初の衝突地点は被告車の進行車線であつたことを考慮すると、訴外亡敦の過失はより大きいと言わなければならない。

原告らは路面に残された痕跡(前記(一)ロ)から、原告車は既に追越しを完了していた旨主張する。側溝に前輪を落した訴外佐藤車の後部荷台左端は路肩より九〇センチメートル、さらに訴外佐藤車の車幅が2.4メートルあり、かつ原告車も2.47センチメートルあること、進行車線幅員は五メートルであるから、原告車がセンターラインを越えずに追い越すことは不可能であること、路面の痕跡は衝突地点についたものではなく、衝突後タイヤを押しつけられ、シヤーシがむき出しになる間に数メートルは進んでいること、さらにその右側センターライン寄りにも同様の痕跡が認められること(甲第八号証の二、三)を考慮すると原告車が追越しを完了していた旨の原告の主張には疑問がある。

しかしながら、自賠法三条から保有者である被告小山には、被害者である訴外亡敦の過失について証明責任があるところ、本件では、被告車が避けえぬ程の原告車のセンターラインオーバーであつたことについての確証もまたない。これに加えて、被告車の車体には何ら原告車の衝突痕はないこと、被告小山が原告車の追い越しを発見してから直ちに減速すれば、原告車がかろうじて追い越しを完了しうる可能性も絶無と言えないことなどの諸事情も考えられないことはない。そうすると自賠法三条但書の証明責任の負担を考慮すると民法七二二条二項の過失における斟酌の度合において死亡した訴外亡敦に対し、多少右事情を斟酌しうるものと解される。

そうすると訴外亡敦にはほぼ七割の過失相殺をするに止めるのが相当である。

しかしながら、過失の有無、程度において証明責任を負う原告会社と被告小山との間においてはほぼ原告会社九割の過失相殺されることとならざるをえない。

三被告小山が被告車の保有者であることは当事者間に争がなく、被告小山に過失があることは前記のとおりであるから、被告小山は人損につき自賠法三条、物損につき民法七〇九条の責任がある。

そこで以下、被告会社が被告車の運行供用者であるか否かについて判断を示す。

〈証拠〉によると、被告小山は運送業の免許を有しない、いわゆる白トラ営業を弟と共に行つていた。その保有台数は被告車を含めて二台あつたが、被告小山が原木の運搬を行なう被告車を運転し、その弟が他の一台で専ら製材された材木の輸送にあたつていた。

被告車の車体には「自家用」の文字が記載され、ナンバーも白色であるところから、継続して運送させているときは一見して、白トラであることが分る状態である。

被告車の構造は専ら原木の輸送に適するようになつており、既に注文の際の仕様においてその構造を有していた。

被告会社は陸上および海上の主として木材の運送業ならび倉庫営業を目的とする会社であるが、主として、川または海面を借用し、これに各木材会社から委託された原木を筏に組んで保管し、必要に応じて、筏を解いてクレーンにより原木を陸上げして、輸送にあたる車に積み込むことになつている。しかしながら被告会社自身は運送用のトラックを所有していなかつた。

被告会社に被告小山が出入りし、原木の輸送にあたるようになつたのは昭和四二年頃からである。

ところで本件事故時に積載していた原木は訴外南和木材商事株式会社が顧客に売つたものであり、その顧客に対する輸送は被告会社に対して、右訴外会社から指示があつた。それまで、右訴外会社のトラックの輸送は被告会社や古渡運輸にさせており、被告小山に直接原木の輸送を依頼することはなかつた。

右訴外会社に対し顧客から本件丸太が着いていない旨の連絡があつたので、訴外会社は被告会社に連絡したところ、都合があつて遅れたが、二〜三日後には送つたという返事を得た。

被告会社は訴外会社に対し、毎月運送料の請求をしているが、トラック荷を積む手数料のみを請求したことはなく、運送料と積込料との二本立で必ず請求していた。

被告車とは別にいすゞ四三年式TM九五E型を二台贈入する話が昭和四三年九月頃起き、その際東京いすゞの信用調査において荷主先である被告会社の要望により被告小山に増車させたい、運搬がさばき切れないため、被告小山に専属にて運搬部門を担当させる旨の車輛購入目的が調査担当者によつて感得されており、その購入代金の支払の保証人には被告の実父のほかに、被告会社がなる予定とされていたが、その後本件事故が起きたので、二台増車の話は立消えになつた。

以上の事実が認められる。

被告小山はいわゆる白トラ営業を行つていたのであり、事実上はともかく、法律上は独立して運送業をなしえない関係にあり、継続的な収入を得るにはいずれかの免許を有する会社に依存して、運送の業にあたらねばならないところ、被告会社に昭和四二年頃から出入りし、原木輸送にあたり、その輸送料も被告会社から受領していたと推認され、かつ車輛の購入に際し、第三者が見て被告会社が被告小山の荷主先であり、被告会社の要望により被告小山の保有台数等が決まるとの関係にあり、将来は被告会社の運搬部門を専属的に担当するかのごとき外観を有していたものである。

しかも被告会社の業務目的は原木の保管が主であつたとは言え、運送業もその目的の範囲内であり、職種の性質上からも当然原木の輸送を伴うものであつたにもかかわらず、原木輸送用のトラックを一台も保有せず、被告小山のような白トラを継続的に利用し(この場合手数料も正規の運送業者より安いことは当裁判所に顕著である。)、自らの営業を全うしていたのであり、被告車の構造も原木を輸送するに適したものとなつていたことを考慮すると、被告会社は被告小山を丸抱えの状態にしていたとまでは認められないものの、少くとも被告小山に対し直接間接に指揮監督を及ぼす地位にあつたものといえ、一種の非常勤の車持ち込み従業員的地位に被告小山を置いていたものと認められるので、被告小山が被告会社の指図によつて本件丸太を運搬したことは被告会社の業務執行と言え、かつ被告車の運行は被告会社のための運行と言えるから、被告会社は本件事故につき、人損につき自賠法三条、物損につき民法七一五条の責任があると言うべきである。

四損害

(一)  原告塚本邦満、原告巻子の損害

(イ)  訴外亡敦の逸失利益 各一〇〇万円、合計二〇〇万円

〈証拠〉から、訴外亡敦は、昭和一八年六月二九日生れの健康な独身男子であり、福島建材工業株式会社に運転手として勤務し、一カ月平均四万四〇〇〇円以上の収入を得ていたことが認められる。以上の事実によると、同訴外人は、事故当時の満二五歳から満六〇歳までは少くとも稼働しえたのに、その間の得べかりし利益を失つたものと認められ、その間の生活費として月一万六〇〇〇円を要すれば足りるからこれを控除し、さらに現在一時に請求するため年五分の割合による中間利息を年別フマン式計算により控除すると現価は六六九万二二四六円となる。なお原告らは即死した訴外亡敦本人の慰藉料請求権を相続したとして請求しているが、死亡による慰藉料請求権は死者本人には発生しないものと解するのが相当であるから、右請求は理由がない。そこで、右訴外人の前記過失を斟酌すると、右損害のうち被告らに請求しうべき額は二〇〇万円が相当である。よつて原告らが訴外亡敦の相続人のすべてであることは成立に争いない甲第四号証から認められるので各一〇〇万円宛法定の相続分に従つて相続した。

(ロ)  原告らの慰藉料 各六〇万円合計一二〇万円

原告らの長男敦の死亡によつて蒙つた精神的苦痛は大きく筆舌に尽しがたいが、訴外亡敦には前記のとおり、大きな過失があるので被告らに請求しうるのは各六〇万円をもつて相当と認める。

よつて原告らの損害は各一六〇万円となるところ、原告らが自賠責保険金で各一五〇万円受領していることは当事者間に争いがないので、それを控除すると各一〇万円となる。

(ヘ) 弁護士費用 各三万円合計六万円

原告らが本件訴訟追行を原告ら訴訟代理人に委任したことは記録上明らかであり、原告らの前記請求認容額、証拠蒐集の程度等本件訴訟にあらわれた諸般の事情を考慮すると一損害費目としての原告ら主張の弁護士費用のうち、本件事故と相当因果関係のある損害として被告らに請求しうべきものは各三万円、合計六万円をもつて相当とする。

(二)  原告会社の損害

(イ)  車両損 一八九万五六五〇円

休車損 八万円

〈証拠〉によると、

原告車は本件事故で大破し、その状態で関東いすゞ自動車株式会社に三五万円で下取つてもらつたこと、原告車は二八五万八〇〇〇円で原告会社が昭和四三年六月二九日頃購入し、約三カ月使用した時点で本件事故に遭つたこと、原告会社は砂利、川砂の採取および販売を業とする会社で、原告車を使用し一カ月少くとも四〇万円の所得を得ていたが、これに対する必要経費は燃料および人件費に約一〇万円そのほか車の修理代、償却費を要したこと

の各事実が認められる。

ところで新車を購入し、車検をとると直ちに新車の価格の少くとも一〇%の値落ちがすることは当裁判所に顕著であり、「減価償却資産の耐用年数等に関する省令(昭和四〇年三月三一日大蔵省令一五号)」によると、原告車の耐用年数は四年であり、右車検落ち価値と定率法により、右三カ月間償却後の原告車の時価を算出すると

となり、さらに正確には、購入日から事故前日までを計算すると三カ月と四日あるから、この四日間で少くとも一万三六〇〇円は償却されると見てこれを控除すると、二二四万五六五〇円となる。

よつて事故直前の原告車の時価は二二四万五六五〇円相当と言える。もつとも〈証拠〉によると必ずしも修理不能ではないこと、その修繕費に一〇五万円以上かかることの事実もうかがえるが、前記原告車の大破の状況からして、さらに余計に工賃を要すること、修理が出来たとしても原告車の耐用年数、交換価値は著しく落ちると解されるので、関東いすゞ自動車株式会社に三五万円で下取りさせた行為をもつて損害を拡大したものと見るのは相当でない。

次に原告車による休業損を算出するに、原告車は一般に市販されている車種であり、代替車を購入するに陸送の期間、車検手続等の期間を入れても二〇日間あれば足りるので、この期間をもつて本件事故と相当因果関係のある期間と見るのが相当である。

そこで必要経費である人件費、燃料費の一〇万円、さらに修繕費と償却費(登録初年度は一カ月一一万円は必要である。)を控除し、そのほか保険料、税金等を控除しても一カ月の純益は少くとも一二万円はあると認められるから、原告車の休車損害は八万円となる。

よつて原告車大破による損害(時価から下取額を控除したもの)一八九万五六五〇円と右休車損害八万円、合計一九七万五六五〇円の原告会社の損害につき前記過失割合を斟酌するとそのうち二〇万円をもつて被告らに請求しうるものと認められる。

(ロ)  弁護士費用 六万円

原告会社が本件訴訟追行を原告会社訴訟代理人に委任したことは記録上明らかであり、これに前記認容額、被告の抗争の程度、証拠蒐集の難易、そのほか本件追行にあたつて認められる諸般の事情を考慮すると本件事故と相当因果関係にある損害の一費目としての弁護士費用は六万円が相当である。

五よつて原告塚本邦満、原告塚本巻子の被告らに対する本訴請求のうち、それぞれに対し連帯して各一三万円、原告会社の被告らに対する請求のうち、連帯して二六万円および右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和四四年一月三一日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるのでこれを認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用については民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言については同法一九六条を適用し、主文のとおり判決する。なお、仮執行宣言免脱の申立は、相当でないから、これを却下する。(倉田卓次 小長光馨一 佐々木一彦)

別紙第一、第二、第三、第四、第五、第六図面〈省略〉

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